7/25/2005

結婚式の日にお母さんに渡した手紙にあったように、今日から日記をつけ始めることにする。
結婚式直後にも関わらず今日は仕事に行った。本来休むべきなのかもしれない。家の中はまだまだ整備されておらず、ひとつの部屋が物置と化している。それでもまだ実家から持ってこなければならない荷物は多く、全てがそろったとき部屋がどうなってしまうのだろうか。
今日はクライアントと9時40分に田町駅で待ち合わせをしていたが、一時間くらい早くについてしまったため、田町駅の近くにあったエクセルシオールカフェで時間をつぶした。仕事スーツを着たのは久しぶりで、しかも今日はとても蒸し暑く、ここではフローズンマンゴを飲んだ。
仕事はいつもどおりだ。一通りクライアント先で仕事をしたあと、彼らと一緒に僕らのオフィスに戻った。本来竹橋の彼らのオフィスに行くはずだったが、私たちのオフィスのほうが近く、一緒にいた石川さんはオフィスに用事があったため、僕らのオフィスに戻った。
打ち合わせが終わった後、自分がいつもいる席に戻ると、同僚たちがまだ残っていた。結婚式後に彼らに会うのは当然はじめてであり、そこで結婚式についていろいろと質問された。僕が指輪をしていることにも気付き、同僚の栗田はとても感動している風だった。彼女は早く結婚したいと思っていて、僕が結婚すると話をした当初から、うらやましいとばかり言っていた。しかし彼女はまだ25歳、まだまだ早いだろう。
今日はユカは会社を休んでいたため、家に帰るとご飯が完全に用意されていた。ハンバーグとサラダ、スープまで作ってあった。とてもおいしかったが、あまり口に出しておいしいと言わなかった。これは世の大多数の男がそうだろうと思うが、おいしいと思っていても、口に出すことはない。何も言わずにもくもくと食べているのは、おいしいと思っている証拠なのだ。
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# by yskwtnb | 2005-07-25 21:50

7/7

トレーニング二日目。二日目ともなるとよくもわるくも慣れてくる。朝、定刻に全員そろわなかったことをクリスは軽く怒っていた。
昨日の夜心配していたクイズは問題なかった。僕は本当のテストのようなものが行われ、もし結果が悪かったら日本のEYに報告されるのではないかと心配していた。
昼ご飯はハメラたちと一緒に食べに行った。シンガポールのおいしいヌードルということだったが、僕にとっては日本のラーメンのほうが数段おいしいと感じた。
トレーニングが終わり、チャイナタウンに行った。いかにもチャイナタウン、興味深いものがたくさんあった。夜ご飯はここチャイナタウンで、それほど高くないコース料理をたべた。一人日本円で2000円弱で、ふかひれスープ、アワビの料理、豚のから揚げ、などが出てきた。
明日は朝ご飯を昨日今日と違うところで食べてみようと思う。
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# by yskwtnb | 2004-07-08 09:41

7/6

今日からトレーニングが始まった。
朝ご飯を食べるためにホテルの二階にあるレストランに行った。そこで食べているとえりさんが食べにきた。彼女も日本のEY、TSRSのメンバーで、この研修を受けにやってきていた。以前にディズニーで一度あったことがあったので、このとき二回目だった。
研修はクリス・アンソニーというシンガポール人が担当した。名前から想像がつかないが、見た目は完全にインド人だ。出身はどこか?と聞いたら、シンガポールだという。
昼ご飯、クリスに連れて行ってもらった。おごってもらったわけではないが、どこで食べていいのかわからないため、適当なところを紹介してもらったのだ。僕とえりさん、それと台湾からきている二人とクリスの5人で出かけた。つれてこられたのはまるで学食のようなフードコートで、セルフサービスの店がたくさんあるところだった。クリスが勧めてくれたヌードルを食べた。中に入れる具を自分で選び、それを調理してくれる。それほどおいしいとは思わなかったが、まずいわけでもない、という程度のものだったが、安いから文句をいうつもりもない。結局今日の昼ご飯は200円ほどで済んだ計算になる。
トレーニングが終わり、ホテルに帰る道すがら、マーライオンを見た。とりあえずシンガポールでは見なくてはならないものらしい。しかしあれが何を意味しているのか僕にはよくわからない。
夜、リトルインディアに行った。インド人街で、ここでカレーを食べたのだが、僕の今までの人生でこれほど辛いものに苦労したことはない、と思えるほど辛かった。しかしここで飲んだマンゴーラッシーは、今まで飲んだものの中で一番おいしかった。
インド人街でムスリムのモスクとヒンズー教の寺院に行った。ムスリムのモスクは肌を見せることを禁じているので、女性は上から羽織る服を借りていた。僕もショートパンツだったが、聞いたらOKだというのでそのまま入っていった。みんなある方向を向いて祈りをささげている。その方向がメッカなのだろうな、と思った。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているので、寺院の中にも仏像などに値するものがない。ただ大きな建物があるばかりだ。
有名な噴水があるというので行ってみた。インド人街でいろいろと見た後では、それほどおもしろいと思えるものではなかった。確かに大きいが、特に珍しくはなかった。
明日、今日習ったことに関してクイズがあるため、夜になって復習をしている。
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# by yskwtnb | 2004-07-08 09:40

7/5

シンガポールにトレーニングでやってきた。もはや飛行機に乗ることなどそれほど珍しいことではなくなっているため、成田までの出来事は省く。ここでは成田から飛行機に乗った後のことを書くことにする。
シンガポールまでは6時間と55分の飛行時間、ニューヨークへの時間のほぼ半分ほどだ。だからすぐつくだろうと思っていたが、案外長いものだと感じた。
今日乗った飛行機はJAL、当然悪くない飛行機なのだが、ひとつ不満があった。それは半分ほどの座席で、個人用モニタが写らなかったことだ。といっても、僕のモニタは写った。しかし僕の前に座っていたおじいさん(おじいさんと呼んだほうが適切だと思われるため、あえておじさんとはいわない)が、そのことに対して怒っていて、何度も乗務員を困らせていたことが、不愉快だった。それほど怒ることでもないと思うのだが。僕の隣のおじさんはまた、とてもえらそうだった。乗務員に対しての言葉遣いが横暴だった。たかがエコノミークラスに乗っている人が、本当にえらいはずはない。それなのにあれだけえらそうにしているというのは少し滑稽な気がした。
そういえば成田空港で一万円、シンガポールドルに両替した。レートは69円くらいだったと思うが、このときすでに、実はシンガポールの空港で両替したほうがトクであることを知っていたのだが、まったく当地のお金を持たずに行くのがいやだったため、一万円だけ両替しておいた。
シンガポールについてからすぐに2万円両替したのだが、レートは65円ほどだった。この差に驚いた。シンガポールドルは、日本で両替してはいけない、と思った。
シンガポールの空港からホテルまで、タクシーに乗った。電車でもいけるらしかったが、今回の旅、あまりにも準備不足で、自分がどこのホテルに泊まるのかすら知らなかった。もちろんホテルの名前は知っている、場所を知らなかった、という意味だ。
タクシーで連れてこられてまた、驚いた。シンガポールでも高級な部類に入るホテルで、超高層の建物だ。世界一高いホテルとしてギネスブックにも載っているらしい。
禁煙の部屋がよいか、といわれて、そうしてくれと頼んだのだが、あいにくすべてふさがっていた。一日15ドル(日本円で1000円ほど)で、グレードがひとつ上の、しかも60階程度のよい、禁煙の部屋も用意できるといわれたが、断った。仕方なく喫煙部屋に入ることになった。とはいえ同居人がいるわけでもなく、僕一人でいる以上、何も不都合はない。部屋もきれいで、とても広い。
夜ご飯は、ホテルの地下にあるショッピングセンターのスーパーで寿司を買ってきた。その他フルーツなども買ってきて部屋で食べた。
明日は9時集合だ。
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# by yskwtnb | 2004-07-08 09:40

7/5

シンガポールにトレーニングでやってきた。もはや飛行機に乗ることなどそれほど珍しいことではなくなっているため、成田までの出来事は省く。ここでは成田から飛行機に乗った後のことを書くことにする。
シンガポールまでは6時間と55分の飛行時間、ニューヨークへの時間のほぼ半分ほどだ。だからすぐつくだろうと思っていたが、案外長いものだと感じた。
今日乗った飛行機はJAL、当然悪くない飛行機なのだが、ひとつ不満があった。それは半分ほどの座席で、個人用モニタが写らなかったことだ。といっても、僕のモニタは写った。しかし僕の前に座っていたおじいさん(おじいさんと呼んだほうが適切だと思われるため、あえておじさんとはいわない)が、そのことに対して怒っていて、何度も乗務員を困らせていたことが、不愉快だった。それほど怒ることでもないと思うのだが。僕の隣のおじさんはまた、とてもえらそうだった。乗務員に対しての言葉遣いが横暴だった。たかがエコノミークラスに乗っている人が、本当にえらいはずはない。それなのにあれだけえらそうにしているというのは少し滑稽な気がした。
そういえば成田空港で一万円、シンガポールドルに両替した。レートは69円くらいだったと思うが、このときすでに、実はシンガポールの空港で両替したほうがトクであることを知っていたのだが、まったく当地のお金を持たずに行くのがいやだったため、一万円だけ両替しておいた。
シンガポールについてからすぐに2万円両替したのだが、レートは65円ほどだった。この差に驚いた。シンガポールドルは、日本で両替してはいけない、と思った。
シンガポールの空港からホテルまで、タクシーに乗った。電車でもいけるらしかったが、今回の旅、あまりにも準備不足で、自分がどこのホテルに泊まるのかすら知らなかった。もちろんホテルの名前は知っている、場所を知らなかった、という意味だ。
タクシーで連れてこられてまた、驚いた。シンガポールでも高級な部類に入るホテルで、超高層の建物だ。世界一高いホテルとしてギネスブックにも載っているらしい。
禁煙の部屋がよいか、といわれて、そうしてくれと頼んだのだが、あいにくすべてふさがっていた。一日15ドル(日本円で1000円ほど)で、グレードがひとつ上の、しかも60階程度のよい、禁煙の部屋も用意できるといわれたが、断った。仕方なく喫煙部屋に入ることになった。とはいえ同居人がいるわけでもなく、僕一人でいる以上、何も不都合はない。部屋もきれいで、とても広い。
夜ご飯は、ホテルの地下にあるショッピングセンターのスーパーで寿司を買ってきた。その他フルーツなども買ってきて部屋で食べた。
明日は9時集合だ。
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# by yskwtnb | 2004-07-08 09:40

5/19

いよいよAlbany撤退の日だ。朝9時の飛行機の乗る予定だったのだが、この日にやはり日本に帰るアイコ/イッコウのクルマに乗せてもらってAlbany International Airportに行った。彼らは7時の飛行機に乗るため5時半ころに空港についている必要があったのだが、僕はそれほど早く行く必要はない。しかしながらスーツケースを二個もっていること、Albanyでのタクシー事情の悪さなどを考えると、一緒に乗せていってもらうほうが得策と考え、乗せていってもらった。僕にはもう当面は必要ない、クオーターを彼らに譲った。
アイコ/イッコウはコンチネンタル、僕はユナイテッドに乗った。ユナイテッドのチェックインゲートはとても混んでいたが、コンチネンタルはそれほど混んでいなかったため、彼らは先に搭乗口に向かった。僕も終わりしだい搭乗口へ行き、そこで挨拶することになっていたのだが、ユナイテッドのチェックインはとても時間がかかり、結局7時出発の彼らと空港の中であうことはできなかった。彼らが乗った飛行機を見ることはできた。コンチネンタルの小さな飛行機。これに乗って彼らはNewarkに行き、11時の東京行きの飛行機に乗る。
僕はといえば、9時まで待たなくてはならなかった。待っている間最近サボっていた日記を書いたりしていた。空港の建物は冷房が効きすぎていてとても寒かった。
AlbanyからChicagoに行き、そこで東京行きに乗り換える予定だった。シカゴの空港はとても広く、搭乗口まで相当歩いた。結果的にあれほど歩くのならシャトルバスを使えばよかったとも思ったが、そんなことは歩き始めたときにはわからなかった。歩いていけるように案内板表示があったためだ。
搭乗口にたどり着き、搭乗券をもらおうとすると、ここも長蛇の列だった。しばらく待ってチケットを渡すと、「今オーバーブックの状態で、席が決まらない」といわれた。しばらく待ってくれ、といわれて待っていると、すぐに中国人らしき従業員が話しかけてきた。別なフライトに乗ってくれないか、という。別に急ぐ旅でもないが、あんまり長い時間を待つのはいやなので、どれくらい待つのか、と聞くと、55分後だという。それなら構わないが、ビジネスクラスにしてくれ、と頼んだ。それに対する答えは、可能な限り努力するが、もうひとつのフライトもいっぱいだから約束はできない」といわれた。しかしこの時点で55分後の飛行機に乗ることだけは確定した。
搭乗口が変わって、改めて搭乗券をもらおうとすると、さっきと同じことを言われた。「オーバーブックだからちょっとまってくれ」という。「でも僕はすでに予定を変更してここに来たんだよ?」というと、「わかっています」という。ビジネスクラスにして、と頼むと、努力するが、もしかしたらエコノミーになってしまうかもしれない、といわれた。
結局、エコノミーの席が僕にあてがわれた。その代わりに何かしてくれないか、と頼みに行くとすんなりと、600ドルのトラベルクレジットをくれた。次回ユナイテッドで旅行するときに使うことができる。55分待っただけで600ドル、時給600ドル、悪くない。
飛行機に乗り込んだあと、なかなか離陸しなかった。理由は「空が混んでいるから」そういえばシカゴ空港は世界でも有数の離発着数を誇る空港だったはずだ。結局離陸したのは定刻の40分以上あとだった。
ひとたび離陸すると、日本までは快適だった。乗務員はアジア系の人が多かったため、日本語で話しかけて実は中国人で全く通じない、ということを2度経験した。
成田に到着し、さんざん歩かされた挙句に、ようやく入国審査を受けた。入国審査といってもなにもしない。ただ僕のパスポートにスタンプを押すだけだ。
嫌な予感が的中した。2つ預けたはずのスーツケースが、ひとつしか出てこない。シカゴで飛行機を乗り換えたため、ひとつのスーツケースはそのままシカゴに忘れられてしまったようだ。しかしもともと成田についたらひとつは宅配便で送るつもりでいた。スーツケースを二個持って電車になど乗れるものではない。はやければあさって家に届ける、ということなので、それならばスーツケース宅配代金が無料になったようなものだ。
久しぶりの日本はとても涼しかった。ここ数日Albanyは暑かったので、余計にそう感じたのだろう。
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# by yskwtnb | 2004-05-26 13:30

5/17

午前10時にイッコウとひろちゃんと3人でテニスをした。イッコウの家で昼ご飯をご馳走になり、そのあと僕は家に戻った。ゆみちゃんが、うちにあるこまごましたものがほしいというので、家にきてもらって品定めしてもらった。だいぶたくさんのものを持っていってもらえそうだ。今となっては、無料でいいから持っていってくれるとありがたい、という気分になる。もっとも、ハンガーやら洗剤やら、そういったこまごましたものを友だちに売ろうなどという気持ちはサラサラないが。
そのあとアビジの家に行き、パーティをした。アビジの友だちたちがやってきていて、その大半は留学生だったが、クリスも来た。今日ようやく公式にわかったことだが、クリスとサラは付き合っているようだ。クリスに挨拶すると、「遅いじゃないか、2回も電話したぞ」といわれた。家に帰って留守電をきくと、”Hey Yoshiki, where are you?”と酔っ払ったクリスの声が録音されていた。
今日のパーティはとても楽しかった。日本人ではゆうこちゃんとカンジが来ていた。アビジの友達たちは結構、僕のことを知っていた。アビジからきいている、という。以前にヒラリークリントンのサイン会に行ったときに会ったドイツ人もいた。彼は僕の名前を覚えていて、会うなり「Hey Yoshiki, how are you?」と話し掛けてきたが、僕は名前を思い出すことができなかった。
9時頃から2時くらいまで飲み会をしていた。このパーティがクリスとAlbanyで会う最後のチャンスだったから、名残惜しいが、いろいろと挨拶し、握手し、ハグし、そして別れた。もちろんこれから連絡は取り合わなくてはならない、と話をした。同様のことをアビジ、エコ、バニーなどとも話した。
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# by yskwtnb | 2004-05-26 13:30

5/16

ユカが帰るために、NYCまで送っていくことにした。NYのポートオーソリティは、朝治安がよろしくないということ、Newark行きのバス乗り場が夜間早朝はわかりにくいということを昨日の飲み会でみんなに言われたため、送っていくことにした。3時半のバスに乗ろうとおもい、じゅんいちを起こし、車に乗せていってもらった。しかし3時半のバスは、モントリオールから来るバスで、すでに満席で乗ることができないといわれた。次のバスは5時半だ。二時間もあり、また、11時Newark発の飛行機に間に合うか少し不安なところもあるが、待つ以外になかった。バスを待っている間僕はずっと寝ていた。
5時半のバスは8時20分ころNYCについた。そのままNewark行きのバスにのり、空港についたのは9時ころだった。これならば十分の時間で、余裕をもって乗ることができただろう。
僕はその後NYに戻り、吉野屋で牛丼を食べた。NYで食べる牛丼はおそらくしばらくの間はこれが最後といえるだろうし、日本でもまだ食べられないはずだ。Bookoffで立ち読みをし、午前11時半のバスに乗ってAlbanyに帰ってきた。
Albanyに帰るとアイコの友だちのロバートが来ていたので、一緒に晩御飯を食べに行った。ロバートはアメリカ人だが、日本人とアメリカ人のハーフで、普通に日本語を話す。父親はNavyにいたらしく、佐世保に4年間住んだことがあるといっていた。
メキシカンを食べに行った。わざわざクリフトンパークに行き、おいしいというメキシカンに行ったが、僕には違いがわからなかった。
ようやく本腰を入れて荷造りをした。
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# by yskwtnb | 2004-05-26 13:29

5/15

卒業式!2年間のMBAプログラムが今日で終わり、晴れてMBAの学位を授与された。卒業証書はあとから日本に郵送されるので、今日もらったものは簡単な「卒業おめでとう」と書かれた紙だけだった。これをリボンで結んだものをプレジデントから一人ずつ渡された。
卒業式は9時からだったが、ぼくらMBAのクラスは8時に集合することになっていた。じゅんいちは卒業式で日本の国旗を持つという仕事があったため、やはり8時に行かなくてはならなかった。それなのでじゅんいちのクルマに乗せてもらい、学校に行った。
さすがに8時前だとまだそれほど駐車場も混んでいなかった。
コメンスメントの会場はRACCだったが、この在学中の二年間、足を踏み入れたことはなかった。ユカには先に会場にいっていてもらい、僕は卒業生の控え室のある建物にいった。すでに何人かのクラスメート達がきていて、ガウンの着方についてあーでもないこーでもないと話をしているところだった。この控え室でも、だいぶたくさんの写真を撮った。サンジェイと二人でも撮った。これらの写真は友達達にとってもらったため、あとからもらわなくてはならない。
卒業式の会場には、クラスメートたちが固まって入場した。卒業式はまずPhDの学位授与から始まり、そのあとがMaster’sだった。一人一人名前を読み上げて卒業証書にかわる簡単な紙(卒業証書は後から郵送だ)を渡され、そのあとアメリカ国旗の前で写真を撮った。これらの写真もあとから学校からもらえる(いや、買える)そうだ。
その簡単な紙を渡され、中央のアイルを通って席に戻る途中、サンジェイがいたので握手をし、挨拶をした。”Congratulations”と満面の笑みで言ってくれた。
卒業式が終わり、日本人留学生達と写真を撮る約束があったので、キャンパスセンターに行った。式は屋内であったため、外がこれほど暑いものとは思わなかった。黒いガウンを着ているせいもあるだろうが、とても暑かった。キャンパスセンターの中にある噴水の前で何枚かの写真をとった。
このあとすぐ学部でのレセプションがあったので、BAに行った。フルタイムMBAのレセプション会場に行くと、ケーキとシャンパンが用意してあり、かってに飲むようになっていた。学生の家族や友人達もこのレセプションに参加したため、ユカもここにいた。友達みんなにここでユカを紹介した。とりわけ喜んで話をしていたのはクリスだった。以前に、卒業式のユカがくる、彼女はクリスに会いたがっている、ということを話していたためだ。ベンのフィアンセと叔父さんにもここで会った。ここでモハン博士と話をした。会社に入ったら、連絡先を知らせるように、といわれた。それはもちろんのことだ。
そのあと、クリスと一緒にモハン博士のオフィスに行った。一応お礼と挨拶をしようと思っていったのだが、いつもと変わらない雰囲気の話をした。クリスが送ってくれるというので、また、モハン博士も帰るところだったので、一緒に駐車場まで行った。なぜか駐車場で、モハン博士のBMWとともに写真を撮り、ここで別れた。
クリスに家まで送ってもらった。今度の月曜日に最後の飲み会があるため、クリスとはまた会うことになるが、もしそこであえなかったら、ということで丁寧に挨拶をして別れた。
夜はアイコ/イッコウ邸でパーティをした。ユカは僕の部屋で寝ていた。疲れていることもあるだろうが、僕らの仲間の中に入ってきづらい雰囲気もあるのだろうか。
夜11時頃に帰った。明日はユカを送りにNYまでいく。
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# by yskwtnb | 2004-05-26 13:28

5/13

グッゲンハイム美術館に行って買い物をしようとしたのだが、朝早く、Museum Shopは11時からだった。少し時間があったので、すぐ近くにあるメトロポリタン美術館に行った。2人とも学生であると申告し、学生料金を支払って入場した。そもそもここは入場料といわれるものはなく、Donationをすることによって中に入ることができる。しかしそのDonationには、目安の金額が設定されている。それが大人と学生ではだいぶ違う。二人とも学生であると申告したが、学生証を見せろとは言わない。
Wall Streetに行った。前回NY観光をしたときにもきたのだが、あの時は休日だったため、全く人がいなかった。今日は平日の昼間だったため、いかにもそれらしいビジネスマン達が闊歩していた。Wall Streetには、どこかに牡牛の像があると聞いていたのだが、前回来たときはそれがどこにあるのかわからず、結局今日もわからなかった。
バッテリーパークまで行き、沖に自由の女神を見た。今回は時間がないので島までは行かなかった。
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# by yskwtnb | 2004-05-26 13:28